超一流になるのは才能に決まっている!努力では無理な理由

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才能と努力と天才と凡人

才能とは?

才能というのは漠然としていますが、実際に辞書で調べても漠然とした答えしか載っていないんですよね。

辞書に載っている「才能」とは、

【生まれつき持っている物事を巧みにこなす能力】

というようなことしか載っていません。

これって一見理解できたように感じますが、具体的な才能って何なのか?という答えにはなっていないのです。

その才能というものについて、述べていきたいと思います。
 

努力とは?

努力という言葉も、辞書にはけっこう漠然としか載ってません。

辞書に載っている「努力」とは、

【目的や目標を成し遂げるために尽くして行う・・・】

みたいな感じで、こちらも才能と同じように、理解できた気がして、本質が理解できるほどの説明は無いんです。

例文は載ってるんですよね。

【たゆまぬ努力】

とか。

それって説明じゃなく、努力してる感じのイメージじゃないの?
 

天才とは?

これも辞書では、才能の説明と似たような感じで漠然としてます。

【生まれつき持っている優れた才能】

って、これが天才という言葉の説明なのか?

【天才とは、1%のひらめきと99%の努力である】

って、まぁ名言だけど・・・

「天才」の一般的なイメージとしては、
 

  • 1度見ただけで出来ちゃう
  • 難しい話しを1回で理解できちゃう
  • 知らない分野の質問でも答えがわかっちゃう

 
などなど、才能がある人でも、天才には一目置くような感じですよね。
 

凡人とは?

凡人に関してはもう・・・

辞書って・・・

「庶民」とか「平民」とか、「普通の人」とか、まぁそうなんだろうけど・・・

意外にも、「能力が平均的」とか「普通」とかいう説明は無いんだよね。

むしろ凡人の一般的なイメージってこっちじゃないの?
 

才能と天才を一緒にするな!

たまにいるので、一様。

才能があるからと言って、それは天才ではありません。

才能があっても、努力が必要な人は、一般的には天才として認識されないことが多いのです。

天才は、たいした努力もせずに出来ちゃうのが天才、というのが一般的認識です。
 

才能には2種類ある

まぁ、そんな感じで、上記のように辞書がイマイチ頼りないので、一般論として説明してきます。

持って生まれた才能

人間には、持って生まれた才能というものがあります。

一番わかりやすいのが、「大谷翔平」です。

野球が分からない人でも、大谷翔平の話しを聞けば納得するはずです。

例えば、1打席目に空振りしたり打ち損じたストレートや変化球。

野球を知らない人、ストレートや変化球が分からない人でも、

【ピッチャーが投げた球】

という認識程度でも大丈夫です。

プロ野球選手や大リーグ選手というのは、野球というスポーツの頂点で仕事をしている、野球のプロフェッショナルの人達です。

そんな人でも、1打席目のピッチャーの投球を、2打席目で修正してホームランにするなんて、まず出来る選手がそういないということ。

歴代のプロ野球選手や大リーグ選手の中に数人という程度でしょう。

それを、簡単そうにやってのけるのが大谷翔平です。

このような、
 

  • 感覚的なもの
  • ひらめき
  • 直観

 
のようなものは、努力でどうにかなるものじゃありません。

これこそが、持って生まれた才能なんです。

そんな大谷翔平ですら、天才とはいえない努力を凄くしているのです。
 

ある時に芽生える才能

食わず嫌いの克服から開花する才能

実は生まれつき持っているのに、人生で一度も出てこなかった才能が開花することがあります。

これは、苦手な分野であまりその分野に接してこなかったせいで、才能に気付けなかった才能です。

私も、才能とは全く違う次元ですが、小学生の頃の作文が苦手で、原稿用紙1枚書くのも苦手で書けなかったほどなんです。

作文の宿題とかめちゃ嫌でした。

なので、人生で文章を書く仕事するなんて避けていたし、全く眼中にありませんでした。

しかし大人になり、仕事でメルマガやサイトの記事作成を、半強制的にやらされたんです。

やり始めたら意外と書けちゃって。^^

今では原稿用紙20枚分でもけっこう書けちゃうほどでして。

自分で言うのもなんですが・・・

意外な才能?

開花しちゃった?

みたいな。^^
 

才能があるのに環境で才能を発揮できない

持って生まれた才能があっても、その才能を活かせる場所にいない、才能が活かせる環境が無い場所で生活していると、自分の才能には出会えません。

自分の才能が活かせる場面に出会って、初めて自分の才能に皆が驚き、自分自身でも驚きを感じることでしょう。

それに気づくと、その分野にのめり込んでいって、才能がどんどん芽生えちゃう。

例えば、サッカーの才能がある人が、自分の生活圏に野球をやる風土しか無いと、サッカーに関わることがほとんど無かったりします。

今はサッカー部が無い小中学校も少ないと思いますが、昔はサッカー部が無い学校というのも少なくなく、「キャプテン翼」というサッカー漫画でブームが来るまでは、サッカー人口は極端に数が少なかったのです。

今では考えられませんよね。

あくまでもサッカーは1例ですが、自分がその環境に無いと、自分の才能に気付けずに、一生を終える人もいます。

これが、自分が才能を発揮できる環境に出会った時に、才能が芽生えるということです。
 

努力で才能を活かせる人

タレントで、陸上でも世界を取ったことで有名な、武井壮さん。

彼の話しが、この才能にはふさわしいかもしれません。

武井壮さんは、才能には否定的な発言をしています。

『自分の家庭環境は最悪で、そこから抜け出すには努力するしかなかった』

『その努力は死ぬほど辛かったし、今の結果は決して才能のおかげじゃない』

というような発言です。

しかし、結果を出せて、しかも世界まで取ってしまうのは、才能無くしては無理なんです。

世界のトップレベルというのは、ほんの一握りしか届かない場所であり、その頂点なんて尚更、才能無くしては無理なんです。

仮に、努力の人が頂点を取れたとしても、それはその時代やその大会や試合に、才能がある人がいなかっただけ。

武井壮さんも、もしかしたら才能と天才を混同しているのかもしれません。

または、生まれ持った才能でたいした苦労もせずに、生まれ持った身体能力だけで世界を取れたかのように言われ、天邪鬼になっているだけかもしれません。

もし周りの人が、そのようなことを言っているのであれば、才能と天才を混同している人達ということなのです。

下記で私の話しをするので、才能がある人と凡人の差を、理解し感じてもらえたらと思います。
 

努力と才能の方程式

島田紳助さんの「努力と才能」の話しには共感して、島田紳助さんの哲学は私のバイブルにもなっています。

人間の努力と才能を数値化して、仮に5が上限と仮定した時に、5の才能の人が5の努力をすると、5x5で25の最高点の結果で成功できる、という理論です。

いくら才能が5あっても、0の努力では、5x0で0の結果しかありません。

凄く単純明快で、説得力がありますよね。
 

才能がある人ほど才能を認めない

自分が以前に働いていた会社の社長なのですが、凄く頭がキレて、知らないことがあっても勉強して直ぐに身に付けてしまう。

そんな凄い社長で、私たち社員やパートさんがミスしたり悩んだりしてると、

『なんでそれが分からない、なんでそれが出来ない』

『こうやれば直ぐだろ』

というような感じで、簡単に答えを出してしまう人でした。

その社長は厳しい言い方じゃないのですが、何でいつもお前等は無能なんだ、という感じの疑問を言ってきました。

「無能」とストレートには言わずに、優しい言葉に変えてはいましたが、いつも言われていると、自分達で勝手に無能と感じてしまうような。

才能がある人ほど、凡人がどのくらい出来ないのか、理解不能なんですよ。

まぁ凡人に興味が無いから、理解しようという発想も無いのだと思います。

そして、才能があって努力している人ほど、才能というものを否定するんです。

『俺、けっこう努力してるからな』

って。
 

凡人の凡人たる所以

私は、凡人中の凡人というより、凡人以下の社会不適合者なんです。

一般的な凡人が、普通に10の仕事ができるとします。

しかし私は、5の仕事がせいぜい。

6以上の仕事を与えられるとあっぷあっぷしてきて、10の仕事を与えられるともうパンクします。

もちろん、何とか克服しようと努力もしてきましたが、6とか7の仕事を与えられると、1回2回はなんとか出来ても、3回目くらいには1つ抜けたり1つミスをしたり。

会社に入って1年~3年くらいは5くらいの仕事でも、徐々に経験者になってくるので、仕事が増えますよね。

そうなるとパンクしちゃうので、私は結局、会社を辞めるんです。

そうして、職を転々とし、長く続いた職業でも8年程度で、1週間で辞めたバイトもあるし、かなり色んな職に就きました。

才能って、ある程度のキャパシティー(器)だと思うんです。

一度に抱えられる量、一度にこなせる数って、持って生まれた才能(器)なんだと思うんですよ。

その器の大きさで、才能アリか凡人かに、振り分けられてしまう。
 

努力できるのが才能の理由

【努力できるのも才能のうち】

という言葉は、けっこう耳にすることでしょう。

色々賛否言われてますが、この「努力できる」っていう部分を深く考えないんですよね、皆。

努力できる人は、なぜ努力できるのか?

私みたいにキャパシティー(器)が小さい人間は、同じ努力をしようとしても出来ないことがほとんどです。

成長に時間がかかる人間を、気長に待ってくれる会社なんてありません。

勉強でも同じなので、学生時代は当然、落ちこぼれですよ。

もちろん、時間を掛ければ同じ結果が出せるようになったりもしますが、学校の授業って淡々と進んでいくので、そのスピードに付いて行けないんです。

努力をせずに落ちこぼれる奴もいるのですが、私のように生まれ持った能力が低くて落ちこぼれる人も少なくないはずです。

私の場合はそもそも、努力というものを理解できてなかったことも原因ですが。

仮に同じ努力をしても、能力が低いと、努力をしても結果が出るまでには時間がかかります。

結果が出ないと、

『努力してんのか?』

『努力が足りてねえんじゃねえのか?』

って必ずと言っていいほど言われます。
 


 

才能とは?の答え

なので、努力をして、ある程度の結果を出せる人は皆、努力できる才能があるということです。

努力って結果が出るから、努力し続けられるので。

結果が出るまで待ってもらえなかったら、

『努力してない』

『努力が足りない』

って言われちゃうんで。

なので、

相手に要求された時間内に結果を出すための努力が出来る人

というのは、努力できる才能がある人なんです。

スポーツ(アスリート)の世界なら、大会の期日まで努力をして、その大会の期日に結果を出せるというのは、才能なんです。

結果を出すのに時間がかかる人間は、大会に間に合わないんですよ。

それが才能なんです。
 

メモ才能

Posted by memotaro